事例ファイル【相続】音信不通だった相続人がいる家族

■音信不通だった相続人がいる家族

「自分がもらうべきものはもらうから‥‥」葬儀が終わると、長男は母と妹にこう告げ、会場を去っていきました。ドラマのような争族が、この日から始まったのです。

「父が亡くなったので、相続の相談に乗ってほしいんだけど」古くからの知人(長女)から久しぶりの電話です。自宅を訪問すると知人と共に彼女の母親が出迎えてくれました。自宅は隅々まで掃除が行き届いており、几帳面な印象を受けました。仏壇で挨拶をさせていただき、二人からは話を聞きました。

「実は兄がいるのですが、できれば兄には一円も渡したくないと、母と私は思っています。何とかならないでしょうか?」

一円も渡したくないとは穏やかではないなあと思い、二人に詳しい話を聞きました。

「父は自分の意に沿わないことがあると、すぐに暴力をふるう人でした。兄に対しては特にひどかったです。兄が高校を卒業すると同時にそれが耐えきらず、家を出てしまいました。それ以降、ほとんど音信不通でした。私と母は、兄が家を出てから20年間、父の横暴にずっと耐えてきました。兄は私と母が苦しい時も助けるどころか連絡もくれませんでした。兄は家を捨てたと思いました。だから家を捨てた兄には、父の財産を渡したくないんです。」との内容でした。

たしかに、家を捨てた長男に一円も渡したくないという気持ちも、わからないでもない‥‥と思いました。

次に長男を訪ね、母親と長女が長男には一円も渡したくないと考えていると伝えました。

長男は、「小さいころから、父によく殴られました。母や妹に手を出すこともありましたが、長男である私には特に厳しかったと思います。殴られても仕方ない理由でもあれば我慢もできたのかもしれませんが、我慢も限界に達し、高校卒業と同時に家をでました。住み込みの仕事を探し、まじめに働きながらお金を貯めました。10年くらい必死で働き、何とか生活できるようになったときに、今の妻と出会ったのです。その後、結婚し子どもも産まれました。この20年間は一円も親の援助を受けることなく生活してきました。妹は父に殴られたかもしれません。でも大学に進学できました。今でも父のマンションに住んでいるし‥‥。こんな私には父の財産をもらう資格はないんでしょうか?」

長男の話を聞くまでは、母と妹を捨てたズルい兄といったイメージでしたが、実際にお会いして印象が変わってしまいました。長男も苦しんでいたんです。助けなかったわけではなく、生きていくために助ける余裕がなかったのです。この長男も母や妹と同じ被害者だったと思います。

三人と話し合いの機会を何度も設けましたが、話し合いにならず母親と長女が弁護士に依頼、長男も弁護士をたて、裁判所の調停に発展しました。

結果、裁判所の結論は法定相続分に近いものでした。裁判の途中で母親と長女の関係もおかしくなり、長女は家を出て一人暮らしを始めました。結局、この家族は父親の相続が原因でバラバラになってしまったのです。

母親は、「私の人生、なんだったのかな。」の言葉が耳に残りました。